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    10/14
    Wed

    戦力外通告
    CATEGORY:2015

    10月の西伊豆。
    15℃くらいの気温でレザーが最も似合う季節。
    ここも後2ヶ月ちょっとで「凍結注意」の標識が現実味を帯びてくる。


    さて、少々過激なタイトルであると感じていらっしゃる方も多いかも知れないが、今日のテーマは戦力外通告。これは主にプロ野球で使われることが多いが、「ゼロ円提示」など、その表現方法は様々だ。また「事実上の」等実質的には異なったカタチで行われる戦力外通告も存在する。

    即ち、勝つことが至上命題のプロスポーツの世界において、そのチーム編成上チームの戦力全体が元々の戦力構想に到達していない場合、チームはその原因を探ることになる。その分析の結果、チーム全体の戦力に対して期待値よりも低い成績で甘んじている選手に対して、「戦力構造上の問題」として「戦力外」通告を行う。簡単に言えば、「あなたは残念ながらチームの戦力になっていない」ということを本人に知らせ、チームからの離脱または引退を勧告するというものである。

    重いものを多くの人で持ち上げる場合、その全員が同じ力を使ってそのものを持ち上げることは不可能に近い。仮にそれに参加している全員が「サボる」というインセンティブを感じていない比較的良心的な集団であっても、その作業には重いパートと軽いパートが物理的に存在する。そこで重要なことは、このような作業の場合、重い、軽いを論じるのではなく、それに参加している全員で事を成すということとなる。

    しかし、こういう状況でもいわゆる「参加感」に乏しいと自身で感じている人がいることも事実だ。

    それが「戦力外通告」を受ける人のひとつのパターンであると私は考えている。


    確かに集団に属することや、その集団の中である目標に向かうことに対して、個人として一定の距離を置くという考えも存在する。こういうタイプの人は独立心の旺盛な人であることが多く、将来必ず何か1人で事を成すということを達成する。孤独に強く、依存度が低い。更に言えば自分でなければ達成し得ない目標というものを持っており、それは他の要因に影響をさほど受けない。

    一方、集団に属する人はその集団でなければ達成し得ない目標に焦点をあてる。これはこれでアリだ。

    しかし、プロスポーツの世界を除く、プロの世界(この場合は企業や団体)で先に述べた戦力外通告を受ける人の多くは、目標を共有できないことと個人と集団の目標の間に距離をおくことの境界線を理解していない人が多い。

    すなわち、自分の本当の実力と目標がわかっていない人は、その実力をあてにしている集団の期待を理解できないのだ。それが、集団にあって自分自身とその集団の間に自分でも理解し難い「距離」を生むことにつながっている。更にそれを勘違いすると、「私は群れることで自分の存在感を感じたくない」という言葉がどこからか湧き出てくることになる。なぜか?

    それがこの問題のそもそもの理由である「自分の実力をわかっていない」ことの最も正しい答えに見えるからだ。ある意味、これがアマチュアの定義と言ってもよいかもしれない。


    さて、そんな戦力外通告。プロの世界に生きる人はそれがスポーツであれ仕事であれ、自分が戦力外通告を受ける理由がわかっている。なので、戦力外通告を巡る多くのケースではあまり揉めることがない。むしろ、自分の実力を理解し、それを信じている人は「戦力外通告をしたチーム」の戦力構想そのものを冷静に評価、判断し、その上で自分の目標に向かって歩き続ける。だからこそプロなのだ。

    私はこれまでの自身の経験において、このテの問題であまり揉めた記憶がない。また、私の周囲でも泥沼の結末を迎えたケースをあまり聞かない。

    もちろん、ケースによっては表にでない話も存在するだろう。しかし、幸運なことに私の周辺にはこれまでプロである人、あるいはそれを目指している人が多かったということの証ではないかと感じている。

    最後に付け加えるが、かと言って、私が最初から確固たる目標を抱いて歩んで来た人間ではないことは確かだ。私も短期的な目標の達成に酔い、いわゆるその日暮らしを長い期間続けて来た。甘い言葉に乗せられ多くのニセモノに手を出し、ホンモノの存在にすら気付けずにいた。そして今でも「先送り」の誘惑に日々さいなまれ、自分の実力を疑い続けている。

    しかし、ホンモノやプロが何たるかがわかり始めた今、アマチュアな部分は趣味領域の愉しみとしてとっておいて、プロな部分はあくまでプロでありたいと願っている。