THE WELBECK GALLERY

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11/20
Fri

ドミナントデザイン
CATEGORY:2015

もうすぐ冬。
夕暮れにたたずむスズキ・ワゴンR、MH44S型(2013年)。
出張時にレンタカーで運転したものだ。


私にとってこのワゴンRはひとつの時代の終わりを感じるものとなった。
出張で全行程200キロ程度の道程をこなすにはこれで充分。
正に無印型「これでいい」の典型である。そういえば確か雑貨小売店「LOFT」の特別仕様があったのもワゴンRであったように記憶している。
さらに、2012年のG展ではグッドデザイン賞を受賞。スズキとしては同車種で3度目の受賞となった。

さて、
レンタカー市場は近年のカーシェアリング事業者などの参入などにより、より身近な存在となり、クルマはまさに所有と利用という二つの市場を相手にするようになった。

私はこれまで出張でのレンタカー使用時にいわゆるコンパクトカーを利用してきたが、今回のワゴンRによって、それらが全く無駄であったことに気が付いた。
24時間の利用で30%から40%も利用料金が異なる。もちろん、軽自動車の方が安い。そして、目的地に到達するという大目的に加え、「快適に」という付加的な価値においても、コンパクトカーと軽自動車には大きな差はなかった。

当然、クルマでは常に音楽爆音というスタイルがもたらす「騒音の違いがわからない」ということについては、それなりに大きな問題なのでこれを無視するわけにはいかないが、私は断言する。今後日本国内で使うレンタカーは軽自動車以外は使わない。

高速道路を80キロから100キロで走っても使用回転数はせいぜい3000回転程度。加えて、最新の燃費制御技術により軽自動車の欠点であった燃費問題も見事に解消されている。これで音楽を爆音でかければ、騒音も気にならないので正直「これ以上何が必要なのか?」と思ってしまう。


自動車においては現在その使用状況による「未知の領域」はほどないと言ってよい。すなわち、クルマを構成するほとんどのものはすでに技術が確立しており、いわゆるドミナントデザインの領域に入っている。すなわち、「火がつけばよい」100円ライターと「目的地にたどりつけばよい」軽自動車はほぼ同じ状況まで来ているということである。


一旦ドミナントデザインが完成されると、そのカテゴリーの市場は安定期を経ていずれ衰退する。衰退する要因のひとつは生活習慣の変化などである。


さて、皆さんにとってクルマとはもう行き着くところまで行ったプロダクトであろうか?


私はクルマには「夢」の部分がまだまだ存在していると思っている。
同時に軽自動車がその「夢」の部分についてまだまだ研究開発の余地が残されているとも感じる。

しかし、日々の使用に使う道具としてのクルマにはあまり「夢」の部分が重要視されないことも事実だ。

恐らくだが、世界各国が日本の軽自動車の輸入を積極的に認めた場合、いずれ軽自動車が世界を征服するだろう。それだけ日本の軽自動車は良くできている。日本国内においては黄色いナンバープレートが最後の障壁と言われているくらいだから、軽自動車が通常の白ナンバーになった場合、多くのコンパクトカーが市場から去るハメになるだろう。

私はこのような状況を生み出した最大の要因は「制限された中での自由」を求めた結果であると感じている。軽自動車は多くの制限を受けているが、その条件をクリアすることから始まり、次の段階としてその制限の中でめいいっぱい楽しむということが生まれ、最終的には「これ以上なにを求めるのか?」というものが出来上がった。

そう考えると軽自動車にも「夢」の要素は十分にあるとも言える。



私の大好きな911もついにエンジンのキャパシティーが小さくなりはじめた。
それから考えれば、軽自動車は既にその先を行っている。

なので、軽自動車に「夢」が必要なことをそれをつくっている人たち全員が認識してほしいと思う。その人たちはすでに自動車産業においてドミネーター(征服者)であるのだから。



11/09
Mon

セールスと営業
CATEGORY:2015

18世紀のロンドン。そんな古地図にもWelbeck Streetは存在している。
いつごろこの通りが成立したのかはぜひとも調べてみたいところだ。

さて、
今日はある会議の席で久々に「セールスは売ってこい!」的な発言を聞いた。

そんな言葉の裏側には「代わりはいくらでもいる」という意図が感じられるものであり、同時に「考えているヒマがあればただひたすらに売ってこい」という、ある意味人をマシーンとして捉えている節もある。いかにも「営業」ではなく「セールス」としてその仕事に対してステレオタイプな印象を持っている人の発言であった。

日本の「営業」が単なる「セールス」ではないことはコスモポリタンな人なら既に知っている事実であり、さらに日本の中でも「夜討ち朝駆け」はすでに「営業」を意味しないことを知っている人もいる。

私は営業ができない社長というものをあまり見たことがないし、社長はむしろ営業を兵隊として扱っておらず、もっぱらすすんで自ら営業している。

それは、営業があっての企業活動であることをよく知っているからである。
この点については、「営業の方々がお金を稼いできてくれるから私たちが存在するのです」などと言葉のみで言うスタッフレベルの人間と解釈のレベルが違う。

ずばり、日本の営業はかなりテクニカルな仕事である。
ハイコンテキストな相手と高度な調整を実施し、その目的を達成する。

「なんぼになるので買って下さい」などというローコンテキストな活動(それこそ、マシーンでも代替可能かもしれない)は行わない。

ただし、国や地域によっては人をマシーン扱いすることで大きな損失を出し続けている企業も存在する。

なので、ローコンテキストな中で生きている人は営業を従来型の「セールス」として捉えている。そんな「セールス」はもはや現代のビジネスでは通用しない。代わりはマシーンか、高度なシナリオ設定がなされたマーケティング活動がやってくれるのである。


「営業」職であることを少し恥ずかしいと思っている方へ

心配しないでほしい。あなたの仕事はテクニカルであり、その邪魔をしているのはローコンテキストな、本当に欲しいものや達成したい目標がわかっていない人達である。人の本当に望んでいるものを感じ取り、的確なものを提供する。時にはそのものを自分の組織やあなた自身がつくっていないこともある。
しかし、あなたに耳を傾けるひとはそれでもあなたに何かをもたらしてくれると期待しているのである。

それをもたらすこと。

これを達成しようとする時、「何も考えないでできる」だろうか?
できる訳がない。考え尽くし、調べ尽くし、組み立て尽くすことが必要であることはあなたにも理解できるはずだ。

これをする人。人しかできないことをする人。だから人としての尊厳がそこにあるのである。


ここまで話すと人が行う「営業」とマーシンでも代替のきく「セールス」の違いがわかって頂けると思う。



11/01
Sun

READING AUTUMN 2015
CATEGORY:2015

満月が朝に沈む。月明かりの中、夜中から朝まで本を読んでいて窓を開けてみたらこんな風景。秋は情緒的にも落ち着いていて、締まった空気も気持ちが良いものだ。


さて、皆さんはこの秋どんな本を読んだだろうか。

私はティム・ブラウンの『デザイン思考が世界を変える』(ISBN978-4-15-050407-6 C0134)早川文庫 2014年5月第一刷と

山口瞳、開高健『やってみなはれ みとくんなはれ』(ISBN978-4-10-111134-6)新潮文庫2003年9月第一刷を移動中に読み、

今はW・キーチェル三世『経営戦略の巨人達』藤井清美訳(ISBN978-4-532-31667-9)日本経済新聞出版社2010年第一刷を読んでいる。

ティム・ブラウンとキーチェル三世は今年のノルマである経営戦略97冊(詳しくは7月23日のダイアリーを参照のこと)のうちの2冊であり、淡々とノルマをこなしている最中であり、『やってみなはれ〜』はある意味読書のための息抜きを読書で行っているというものである。

そのためか、この『やってみなはれ みとくんなはれ』非常にグッとくる内容であった。

京都、神戸、大阪で語れば大阪は神戸人、京都人からすると少し種類が違うのであるが、日本全国で見た場合は大阪人のそれは非常に共感できることが多い。大阪の会社、「サントリー」小史。同社東京支店の中の大阪や、阪急、小林一三とのやりとりなど、非常に楽しく読めた。

最近読書をしていて思うのであるが、特に、何かで知ったことが違った本を読むことで一気に自分の知識とつながるという感覚をよく覚えるのである。この感覚は皆さんの中でも感じたことがある人が多いと思う。

私は大阪の起業家の巨人達と特に戦後の関西のこと、それと現代のビジネスがこの10月を通して妙にシンクロしたこともあって、非常に実り多い秋を迎えている。

昨年はやたら鷲田清一や浅田次郎を読んでいたことからすると、今年は明らかにテーマが異なるのではあるが、秋の夜長を読書で楽しもうとする習慣にはさらに磨きがかかっていると感じている。道楽に磨きがかかると非常に日々が軽やかなものになってくる。

しかし、ここで最近問題となって浮上したことは「読む時間がない」ということ。

これは日々忙しく読む時間が無いという問題ではなく、人生全体の時間に対して読みたい本の登場のペースが早すぎることにあらためて気がついたということである。

かつて30歳を目前にして「ツンドク」(読みたい本はひとまず手に入れて積んでおくの意味)のテクニックを覚えたのであるが、そのツンドクもよく考えれば、時間が有り余っていた20代の話。最近では積んでおいても死ぬまでに全ては読めないかも?なんて思うようになってしまった。



ということで、世の中はすでに11月ではあるが、今後は秋分の日を境に「夜が長くなるから読書モード」というふうに切り替えて行こうと思う次第だ。