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    12/31
    Thu

    2015年 SNSで勝負しないところから始まった新たなアプローチが与えてくれたもの
    CATEGORY:2015

    2015年もいよいよ終わる。


    写真はこの暮れにいただいたお歳暮であるが、見事に全てウイスキー。
    私がウイスキー好きであることを周囲に話していた結果?というか、心のこもった贈り物。嬉しい限りだ。


    プレゼントの渡し方や、プレゼントそのものの選択に悩んでいる人も多いと思うが、本当に喜ばれるプレゼントを贈るにはひとつのコツがある。


    簡単だ。その人の好みを知っておくということに尽きる。
    好みを知るには対象となる人と、より普段からよくお話しする必要があって、つまりは喜ばれるプレゼントを何にしようか迷うことは、すなわち、その贈る対象の人のことをよく知らないということである。そして、最終的にはよく知らない人にプレゼントを贈る必要があるのか?というところに落ち着く。


    話は変わって、
    今年は1年間で合計15本のダイアリーを書いたが、ここ近年ではなかなかの本数だった。これは夏あたりに、SNSでのクイックな投稿に対して、何か他のアプローチができないか?と考えたところで思いついたことがあって、それは

    「SNSは短さが生命線。しかし、私の文章は基本長い。ということはSNSでは勝負できないので、SNSの短さで物足りなさを感じている人向けにこのダイヤリーを活用してはどうか?」

    という役所のオッサンが考えそうなことだった。要はSNS名人とは戦わない。いや、戦えないのである。なのでダイアリー。散文散歩。これで行こうと決めた結果がこれである。


    さて、今年も1年を通して、仕事、旅、モーターサイクル、読書、音楽とまたいくつかの新しい経験をしたが、総合的に見て自分が最も成長できたと感じる瞬間は、難しい問題への向き合い方であったと思う。

    かつては「面倒に思わない」をテーマに自己鍛錬


    (ま、新年を迎えてその一年の目標を「めんどくさがらない」と決めていただけ。結局何年経ってもめんどくさがる自分がいたので、しばらくは新年を迎える度に「今年もめんどくさがらないで行こう、でいいか」としていただけ。つまりはずっとめんどくさがりだった。)


    を細々を行っていたが、ここにきて今年あたりからは難しい問題が表にでてくると、「これ、こういう風に普通は対処するよね。でも、それだと普通だから、何か違う方法でアプローチして違う結果を出してみよう」なんて思うようになった。


    自分で言うのもなんだが、大成長だ。世の中、または人生においてはいろいろな壁が存在しており、更に言えばパスしてもよい壁と越えなければいけない壁がある。


    厄介なのは越えなければならない壁で、なぜ越えなければならないかというと、その壁を超えない程度のところで自分自身を固定化する危険性があるからだ。これは資格試験の類とは異なる。むしろ、地味な中間試験や期末試験の中にそのエッセンスは多く、つまりは1回試験を通れば終わりというものではなく、なんども実力を試される種類のもの。越えなければ何度もそこで躓くというクールな仕組みが待っている。

    そんな壁だが、超え方そのものはその人次第。選択肢が存在するということに気が付いたのが2015年の最も大きな収穫であった。


    と、そんなことを言っているときっと自分には超えられるかどうかわからないくらいの大きな壁が2016年には控えているのかな?なんて考えたりする。


    でも、そういうことがあるからまた成長できるのであって、成長することの最も大きな恩恵は、「たいくつしないこと」である。


    さ、今年なかなか自身の成長を感じることが出来なかった人も、2016年は小さな挑戦に勝利するというところから始めてみよう。その経験が来年の今頃、あなたに「あー成長したな」と思わせてくれること間違いないから。



    12/25
    Fri

    ケンタッキーの思い出
    CATEGORY:2015

    表六甲。天覧台から灘、芦屋、西宮、尼崎を望む。



    私は10代の頃ケンタッキーフライドチキンでアルバイトをしていた。


    阪神間の各駅停車しか停まらない駅の駅前にその店はあって、直営店ではあったものの歴史は古くしかも実験店舗的な意味合いもあり、イートインが6席程度しかない、売上のほとんどがテイクアウトの店舗だった。


    一回の調理に要する時間が約30分。その際1台の圧力釜で約40ピースのチキンが調理できるが、テイクアウト主体の店舗のために回転が速く、バイト時間中はカウンターに立たない限りほとんど調理しっぱなしだった。

    特にクリスマスの時期になると大量買いが頻発するので、店舗の最大調理能力をフルに使い切ってのオペレーション。その中でもマニュアルに則った調理を確実に行い、時間あたり320ピースを朝の8時から夜の10時まで調理し続けた。

    フラワーとスパイス、ショートニングにまみれ、高温のクッカーの前に立つ。どこまでもつくりつづける。いまでこそブラックバイトという言葉があるが、ある意味ブラックな部分の飲みこむくらいの勢いであった調理場。そこで得たものは時給530円なりの幸せではなく、ベタな話「仲間」であった。


    社員の人や店長は日々の売上ターゲットに追われつつ、食材および資材のオーダーを最低限必要な数量のみ行う。まさにリーンなオペレーション。現場で調理するメリットを最大限に活かすために、自分達アルバイトにも調理する量のコントロールについてはかなり詳細な調理のタイミングを丁寧に教えてくれていた。

    そして、アルバイトも見切りの調理を実行するのではなく、閉店後のロスを最小限にすることにやりがいを感じていた。


    ここまで書くと非常に美しい話だが、実はその全ては厳格に規定されたマニュアルによってコントロールされていたと思うと、少し恐ろしい感覚を持ったりもする。

    ただ、そこで働いていた人は社員もアルバイトも含め全員が「何かのせい」にすることはしなかった。売上が下がったら自分達の調理と接客の質をまずは疑った。仲間のアルバイトが急な休みをとっても、最終的には一人でその場をなんとかする術を身に着けた。

    今思うことだが、そこにいた全員が単に「育ちが良かった」と言えばそれまでかもしれないが、そんなことがあったとは思えないし、マニュアル絶対主義でもなかった。何があのケンタッキーの店の「強さ」をつくっていたのかが未だに謎だ。



    ここにきてヒントがあるとすれば、それはやはりひとりひとりの「自信」であったのかも知れない。そして、マニュアルには「自信を持て」とは一言も書いてなかったことも事実だ。



    12/24
    Thu

    12月のお酒
    CATEGORY:2015

    2015年、クリスマスおめでとうございます。
    皆様の元にもよい知らせが届いていることを心よりお祈りしております。


    さて、気がついてみると12月は本当に酒ばっかり飲んでいる自分に気が付く。


    もちろん、忘年会やその他、周囲の人間も皆忙しいのに。まあ、時期柄誘いやすいのだろう。とにかく12月は「飲む月」である。

    ここ最近の飲みでは、距離感のあった人と以外と友達っぽくなってみたり、また、これまで話の弾んでいた人とは、あまり話が弾まなくなったりを経験しており、その度毎に「人って変わるもんだな。いや、変わったのは自分か?」などと飲みの席で思ったりしている。

    さすがに年齢も年齢なので楽しく飲むことを覚え、あまりハメも外さないのだが、そんな大人な対応の自分に時折寂しさも感じたりする。つまりは大人対応が必要な人たちとしか飲んでいないということでもあるし、自分がどこかで恥をかきたくないと思っているということの表れでもあろう。

    なので、12月の街で撃沈している若者などを見ると、「青春だな」とつぶやいたりもする。


    先日は忘年会の過ごし方について少し話をしたが、年忘れの方法は身についたものの、その代りにウダをまく、無用に絡む、泣く、大声で話すなど酒に任せた行動を一切しなくなった。

    せっかくの12月のお酒だし。残りも数日だし。
    少し、そういうできていないことについてフォーカスしても良いかもしれない。



    12/15
    Tue

    サービス
    CATEGORY:2015

    窓から紙幣の種類がわかる「現金封筒」。
    先日出張の際に機材変更を理由に45分出発が遅れたフライト。
    ゲートでスーツ姿の人が無言で乗客全員に渡していたものだ。

    その日のフライトは出発から到着まで「お詫び」の連続だった。
    「お詫び」をベースにしたサービスには本当のサービス、すなわち、人を感動させるというものは残念ながら感じることはできなかった。なんとも言えない話だ。

    旅客輸送は目的地まで確実に旅客を時間通りに運ぶことが、客がその対価を支払う理由である。その点、機内および車内のサービスはあくまで付加価値であって、空間のしつらえや客室乗務員のサービスは移動の快適さを決める、「品質」の構成要素のひとつと捉えることができる。

    今回のフライトは、対価に対してその基本を保証できなかったことを発端に「気まずい」雰囲気が全体のサービスの質を決めたわけである。


    私は今回のケースを通じてひとつ学んだことがある。

    クレームを恐れることが全ての行動を決める場合、サービスを提供する側と受ける側の間には大きな壁ができてしまう。ある意味、恐怖が支配する世界がそこに存在する。そんな状況だと人を感動させることはなかなかできない。あくまで感動は前向きな態度から。しかし、その前向きさは「常に笑顔」などというマニュアルでカバーできるものではない。

    恐怖に打ち勝つには恐怖を乗り越える自信と、仕事の質に対する日々の鍛錬が必要となるのである。


    自信からでる笑顔。
    叱責されることを恐れて動くのではなく、新たな価値を生み出すために動く。

    そして、対価を超える部分はなんてことはない「その人の人間としての魅力」がそれを創造する。

    そうなると、そこには「気まずさ」は一切存在しないのである。



    自信と日々の鍛錬。
    これは選ばれた人だけができることではなく、

    普通の人が「普通であることで自信がない」を打ち砕く最も有効な方法である。



    12/06
    Sun

    2015年版「もっとも格好悪いモーターサイクルとは」 
    CATEGORY:2015

    師走なので2015年のとりまとめをしたい。
    ということで今回は「モーターサイクル」について。


    今年は海外でのライディング経験などいろいろと新たにモーターサイクルについての認識の変化や着想を得た。こうして私の中のモーターサイクルについての認識は少しずつ変化をしているのである。

    さて、タイトルにある最も格好の悪いモーターサイクルについての2015年時点での私の総合的な認識をまとめてみたい。

    2015年は2010年頃以前から再ブームとなっていたCafe Racerに焦点が当たった年であった。業界からは次々とCafe風なプロダクトがリリースされたし、正直その中でも「これは所有してもよいかも?」と思ったものもいくつか登場した。

    基本的にプロダクトの流れとしては1970年代にフォーカスされており、これが若い世代とそれに影響を与えた50代を超える世代の両方をカバーできるとあって、いわゆるライフスタイル寄りのファッション性の高いものが重宝されているように思う。

    基本的には都市部と郊外、さらには都市部からアクセス可能な週末旅行での使用が想定される他、いわゆる自分風のアレンジが可能な「未完成の魅力」をうまく残した完成品が多いことが特徴だ。特に後者はわざとカスタマイズ可能な提案をしながら、実はカスタマイズの完成品を販売するという凝った手法がその特徴と言ってよいだろう。

    さて、最も格好の悪いモーターサイクル。これはブランドがどうの、二輪車におけるカテゴリーがどうのという問題ではない。

    まず、アメリカにおいてはウインドシールドやカウル付きは「モーターサイクルなのに風を防いでどうするの?」という格好悪さがあり、カウル付きが認められるのは「カウルがスピードを連想させる時」のみである。

    さらに主要な地域の流れとして「焼き直しリバイバルもの」に対しての冷めた目が存在する。これは古いものに対しての、そこにだけあった価値をメジャーブランドが新たに商業機会として捉えようとすることに対して嘲笑するような態度であり、アンチマーケティングが表に出たカタチだ。

    ということで、2015年現在、最も格好悪いモーターサイクルはウインドウプロテクションの効いた四輪を連想させるようなクルマか、かつてのカスタムビルダーや、レーシングコンストラクターが世に問うたものを「再定義」したようなリバイバルものということになろう。

    ただし、これはこれから乗る人や乗って日の浅い人の意見ではなく、あくまで「自分はモーターサイクリストである」と自認している人達の間での意見として捉えていただきたい。

    ではモーターサイクリストは何を格好良いと認識しているのだろうか。

    まずは、モーターサイクルを徹底的に道具として認識し、使い倒してもそれに応えてくれるクルマは格好が良い。ただし、道具と言ってもそれに接する態度には愛情がこもっている。もし、壊したならば自分の使い方が間違っていたと自身で認められるかどうかがその認識のカギとなる。

    次に可能な限りシンプルであること。ウインドーシールドやヒーター類、ともすればABSなどの安全装置も否定する。これはモーターサイクルが持つ剥き出しの魅力をそぐものと同時に、どうしても四つ足で「転けない」四輪を連想させるからだ。


    転ける可能性があるからモーターサイクルであって、雨風にさらされるからモーターサイクル。さらには、それを乗ろうと決意する乗り手があってのモーターサイクルである。

    四輪のように免許を取得して買ってくればすぐ運転できるものとはそもそも異なるものなのだ。


    これらを網羅すると、だいたい格好の良いモーターサイクルはイメージできる。

    基本的には古いものを大事に永く乗ること。
    リバイバルものは最新機種と同様、道具として使い倒すこと。

    それから最後に重要なのは、モーターサイクルはそれ単体としては完成したものではなく、あなた自身が乗っていてはじめて全体として完成することである。そうなるとあなたの服装や態度からも、上記のようなことが醸し出されることを覚えておかなければならない。



    と、偉そうな話をしたが、写真の私のメイン、R1200RTは相当に格好の悪い部類に入ると思う。いや、私はそれをその使い方でカバーしているつもりなのだが。


    2016年は恐らく「先に行き過ぎてて格好悪く見えるもの」にまた焦点が当たると思う。というのは21世紀という言葉を誰も使わなくなってしまった昨今、そろそろ22世紀という話が出てくるものと思われるからだ。


    そんなわけで、2016年もモーターサイクルの旅路は続く。



    12/03
    Thu

    年忘れ
    CATEGORY:2015

    一足早い冬。
    それより12月、師走である。


    毎年ではあるが、この時期になると何かと「年内どうの」という話が多くなる。
    今年の事は今年に完了させて、「まっさらな新年」を迎えたいという気持ちがそうさせるのかも知れない。

    ただし、多くの人々が数年、または数十年のプロジェクトの途中であって、いわゆる「年越し」案件も世の中には多く存在する。
    なので、今年中に完了することを知らないうちに分けてそのように考えているのであろう。

    いずれにせよ、師走は年内完了と同時に年忘れに集中すべき時であると考える。



    その中でも年忘れの方法についてお話ししよう。

    基本的にお酒の飲める人は、お酒を飲みながら今年あったことを全てしゃべる。そうすれば、年忘れは比較的スムースに進む。これは実証済であり、去年の年末にしゃべりまくったことはキレイに記憶から無くなっている。その一方であまり人にしゃべらなかったことは以外とずっと覚えていて、いわゆる心の片隅にずっと残っているものだ。そう、焦がした鍋の底にいつまでもくっついている小さな焦げ目のような形で。

    なので、できるだけしゃべる。しゃべるために飲む。これに尽きる。
    これでキレイさっぱりに忘れた事の多くは

    「あれ、そんなことあったっけ?」という具合に脳の中で変化する。



    次に有効な手段は掃除だ。

    これは今年のごみや埃は新年にはもっていかないつもりで徹底的にやる。
    同時に今年1年着なかった服は全て処分する。(特別な行事用の服は除く。しかし、結婚式の二次会に着ていく程度のものは処分の対象となる)
    処分するといっても捨ててしまうだけではなく、人に譲ったり、売却したりと方法は様々だ。少なくとも自分のいるスペースの外へ持ち出すことを考えよう。

    この洋服と同じようなものとしては内容がくだらなかった本などもその対象となる。

    いすれにせよ徹底的にやることで、今年散財具合が自認することができるから、これも新年に向けてよい「振り返り」の時となる。


    最後は今年の目標が達成できたかどうかを確認しよう。

    これは誰かとするものではなく、独りでやったほうがよい。
    重要なことは達成できなかった場合でも達成できた場合でも、
    その目標が今の自分に合った正しいものであったのかどうかを12月になって再度確認することである。以外と簡単だったことは目標と呼べるものではなかった可能性があるし、難しかったことは1年でするものではなく数年かけてするもので、また新年を迎えた時に同じ目標をその年も目指すでよいと思う。



    おしゃべり、掃除、今年の目標について反省。
    この3つ、よく考えてみると脳の中にあるタンスを整理するような作業だ。

    整理を終えた後、そのタンスの中にあるものはよほど重要なことか、または「忘れたくない」ものである。そう、これだけ徹底してやった後に残ったものは、どうしてもとることにできない「焦げ目」として認識するのではなく、


    「覚えておきたい素敵な記憶」


    としてキレイにたたんでしまっておくようにするとよい。




    さて、これだけのことをするには1か月ではあまり余裕がないので、皆さんもすぐに始めてみてはいかがだろうか。