THE WELBECK GALLERY

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01/11
Mon

David Bowie / 1947 - 2016 / London, England
CATEGORY:2016

2013年7月日本版初版。ISBN-10 490670087X。
元々はロンドンV&A博物館で開催されたデビットボウイ回顧展のカタログ。
日本語版は写真の通り1984部の限定生産で出版された。



私にとって彼を初めて認識したのは1983年のSerious Moonlight Tourの時。
もちろん、私などはどちらかと言えば素人の部類であり、ずっと彼に傾倒していたわけでもなく正直忘れていた時間も存在した。

ただ、だんだん私自身が歳を重ねるにしたがい、ひょっとしたらこういう人を目指しているのかも知れないと思うようになった。一言で言えば心のヒーローのようなもので、憧れとも少し違う独特の感覚と距離感で「参考にしていた」というのが最も近い表現かもしれない。

私のロンドン時代にはBBC2(日本で言うところのNHK教育=Eテレ)の番組に登場し、インターネットがもたらす未来について語るなど、音楽家なのか役者なのか、文化人類学者、はたまた未来学者なのかわからない存在だった。

しかし、インパクトはじゅうぶんにあった。


彼が亡くなった今、ある意味目標となる座標を失ったような感覚でいるが、一夜明けてみて思ったことは、なんがか親戚の叔父さんがなくなったような気分でいる自分がいるということである。


「おじさんはえらい人で勉強家だから、あなたもおじさんを見て学びなさい」

しかし、そのおじさんは以外とちゃらんぽらんで、音楽やったり、ファッションに独特の感覚があったりする。そんな親戚のおじさん。


そうやって言われてきた人が突然、死を迎えて、見習う人を失ったという感覚。
それが今日という日を説明するのに最も適した表現だろうと思う。




目標となる座標を見失った時、その瞬間からGPSに頼る航法は捨てなければならない。自分でマニュアルに切り替え、カレンダーと日の沈む方向で方位を割り出し、これまでに進んだ距離と今のスピードから、そこへの到達時間を見積もる。
あとは自分の見立てを信じて突っ走るだけだ。ただ、ボウイのようにたまにユラユラすることも忘れないように。



01/08
Fri

CHAIR ONE / KONSTANTIN GRCIC / MAGIS / 2004 / Ve, Italia
CATEGORY:2016

大改修もいよいよ終盤に差しかかかった東京駅。
そもそも座る場所がほとんどない駅だったが、それへの対応か。

MAGISのCHAIR ONE(日本国内流通価格で48,000円税別・一脚)が数百単位で置かれている。ある意味圧巻の光景である。


私はこれまで空港ターミナルや駅などそこで過ごす時間が長いこともあって、置かれている家具については興味深く観察してきた。

パブリックスペースであるこうした空間にはそもそも「いいもの」が使われることが多いのだが、こと日本国内にあってはたとえ国際線のターミナルであっても、Vitraから影響を受けたプロダクト(まあ、簡単に言えばホンモノによく似たもの)が設置されていることが多く、日本はこういうものにはお金をかけないのだと感じていた。

そこへ来て今回の東京駅。一体何があったのか。

私が推察するところでは、おそらく、ホンモノに似たチェアであってもこのCHAIR ONEとそれほど価格が変わらなかったので、ではホンモノにしましょうということになったような気がする。

恒久的な設置要件を満たさなければならない対象で、本来はスタックングチェアの出番ではないものの、「どうせならこれにしましょう」と言い出した担当者に会ってみたいものだ。



その人は間違いなく、日本のパブリックスペース、特に近年つくられたものに怒っていたはずだ。


いわゆる相場の見積に、既得権益で納品する業者。当然、そこにもほんものを知る人がいるとは思うが、おおきな「流れ」そのものは「発注者側がわからないから、なんでもいい」となる。そこで、ホンモノに似たものが設置される。



確かにこういう話はよくあるが、公共のスペースは以外と重要な役割を果たしている。これは単なる外国人対応ではなく、もっと自分達の足元の問題だ。

例えば、ホンモノに似たものを見て育った子供は大人になった時にホンモノが何であるかの判断がつくのだろうか?





01/01
Fri

2016年 新年あけましておめでとうございます
CATEGORY:2016

スティックを折るのは力が入り過ぎている。すなわち下手なのか、
それとも、魂を込めすぎている。すなわち正直なのか。


皆様、2016年新年明けましておめでとうございます。


昨年暮れ、大みそかの夜は伝統的なテレビ番組「ゆく年、くる年」を見ていたが、福井の永平寺に雪が全くなく、まるで3月下旬の風景だったのでさすがに少しぎょっとした。


しかし、よく考えてみると永遠のテーマとは自らずっと向き合っているものの、いわゆる年越しで持ち越した「悩み事」のようなことは無く、そんな意味では良い年を迎えられたのではないかと感じている。ひょっとしたら、昨年12月に敢行した積極的な年忘れ効果かもしれない。

今年の暮れも積極的に年忘れができるよう、矢が切れるまでどんどん矢を放っていきたい。ま、アベノミクスの第3の矢のような「矢がないくせに矢を放つ」という話はしなうように、常にクリエイティビティを最優先に全てのことを行っていきたいと思う。

これには昨年までだったら躊躇していたことを「昨年までは躊躇していた」と認識した上で、躊躇なく行うことが重要だ。




迷って結局何もしなければ、その間、時間だけが過ぎてゆく。
だから迷わない。